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指③

 『指』
     
つづき③

私には、指輪を飾る指がない。手のひらにわずかに存在するお団子のような指は、日常生活を何不自由なくこなすためだけに付いている。生まれてからずっとそうなのだから、もうそろそろ慣れても良さそうなものなのに、未だ長い袖で隠して現実から目を背けている情けない私。そんな私とおさらばしようと意を決して飛び込んだお店。「ここならもしかすると―――」なぜそう思ったのだろう。けれど、これが現実。そろそろ受け止めなきゃ。泣くのはやめよう。けれどそう思えば思うほどこぼれでる涙。

「やだ。涙止まんない―――」

必死に笑ってそう言うと、彼は一層深く私を包み込んだ。

「もっと泣いていいんだ。我慢なんかしなくていい。」

 その言葉に、時が止った気がした。私は向きを変え、彼の胸に顔をうずめて泣いた。声を上げて泣いた。いつまでもいつまでも、気の済むまで泣き続けた。

外は悲しいくらい夕陽で真っ赤に染まっていた。

 「映画や、コミックの世界ではもう何十年も前から機械の身体が出てくるのにね―――。こんな中途半端ならいっそ、手首からなかったほうが見てくれがいいのに」

すっかり日も落ち、『CLOSE』の札が掛けられた店の奥、彼の部屋の入り口に腰を下ろし、私はそう言った。散々泣いたのに、未だ枯れない涙が頬をつたって落ちる。

「辛かったね」

ふわっと漂うコーヒーの香りとともにやってきた彼が、そう言いながら私の隣に腰を下ろし、マグカップを差し出した。

「インスタントだけど」

口元を緩ませそう言った彼に微笑み返そうと必死で笑顔を作ったけど、またもこぼれでる涙に負けた。カップを受け取りながら彼の言った「辛かったね」という言葉に、ただただ頷くしかなかった。

「さぁて、もうひと仕事するかぁ」

 そう言って彼は軽く伸びをしてアトリエに姿を消していった。その彼の優しさとマグカップから伝わる温もりを、長い袖を手繰り寄せた両手に感じながら私はそっとコーヒーを口にした。

「熱っ」

 なぜだか不意に笑いがこみ上げ、しばらく泣き笑いをしていた。

 次の日、ふと目を覚まし、いつの間にか眠っていた自分がいることに気がついた。しかもちゃっかりと布団の中に潜って―――。私は飛び起き辺りを見回した。殺風景な部屋の中、とても静かな朝。鏡など見なくてもわかるくらい泣き腫らした目に後悔の念が。

「迷惑かけちゃった―――」

 急いで布団を押入れにしまい顔を洗うと、そっと部屋から出てアトリエを覗いてみた。

「いない」

 あわててお店のほうに出てみたが、そこにも彼の姿はなかった。一人取り残された気分になって立ち尽くし呆然と窓の外を見ると、ようやくそこに彼の姿を見つけた。

 私は無意識に満面の笑みを浮かべ、あわてて店の外へ出た。驚いた顔でこちらを見つめる彼に何から話していいか分からず戸惑っていると、彼は作業の手を止め「おはよう」と柔らかい笑みでそう言った。

「はっ、はい。お、おはようございます。あっ、あの、き、昨日はどうも済みませんでした」

 しどろもどろにしゃべる私の頭を彼はクシャクシャッと撫でた。

「よく眠れた?」

「はい」

「それは良かった」

軽いやり取りの後、彼は再び作業に戻った。足元にあるバケツから取り出した雑巾を固く絞り、扉の横の壁、ちょうど目の高さの部分を丁寧に拭いた。そして一枚の紙をそこに押し当て、

「あ、悪いんだけど、これ、押さえていてくれる?」

 そう言って私の方を見た。私は「はい」といいながら邪魔な袖を手繰り寄せ、真っ直ぐになるようその紙を慎重に押さえた。

―――急募 アシスタント募集―――

「あ、この紙―――」

私は無意識に呟いていた。

「求人広告。前に貼ったやつ、風に飛ばされたみたいでね。どうりで誰も来ないわけだ」

 そう言いながら、彼は適当な長さに切ったガムテープでチラシの上側を貼り始めた。

「そ、それ、私が剥がしました」

 俯き加減でボソッと白状すると、「えっ?」と聞き返すように言いながら、彼はガムテープを押さえる手を止めた。私はポケットから幾つにも折られた一枚の紙を取り出し、もたもたと開いた。当然、今、壁に貼り付けたものと同じものが顔を出す。

「ゴメン、なさい。働きたいと思ったんだけど―――言い出せなくて―――」

 泣き腫らした目から涙がこぼれ出た。行き交う人がこちらを見ながら去って行く。私が泣いたせいで彼を困らせていると思うと、より涙がこぼれでた。彼は、大きく開いていた目をいっきに細め「大丈夫だよ。ほら、せっかくの顔が台無しだ」とハンカチを差し出し、「じゃぁ、これは用無しだな」と貼りかけたチラシを剥がして手際よく道具を片付けた。

「中へ入ろう」彼の笑顔が優しく私を包み込む。私は無言で小さく頷き、彼に促されるまま店の中へと入った。

 翌日から私は、このお店で働くこととなった。働くと言っても、毎朝お店の掃除をし、お花に水をあげ、お客様が来たらアトリエにいる彼を呼びに行く。ただそれだけのことできちんとお給料がもらえる。申し訳ないくらい楽な仕事。それでも作品を作ることに専念したい彼にとっては、とても重要な仕事らしい。私は少しでも彼の役に立とうと、いつしか炊事や洗濯までやるようになっていた。

毎日が楽しくて仕方なかった。だって、彼の前ではありのままの自分でいる事ができるのだから。そんなことを思いながら、この日も夕飯の後片付けをしていた。鼻歌まじりで洗った食器を拭いていると、不注意にも彼の大切なマグカップを手から滑らせた。

「ガッシャン」その音にあわてて飛んできた彼は、私を見るなり「大丈夫?ケガはない?」と心配そうに尋ねた。私が小さく頷くと、「よかった」と肩をなでおろし、そのまま目線を下へ移した。その先には、割れたマグカップが―――。

「あーっ!僕の―――」

その後も私は二、三カ月に一度は同じ失敗を繰り返した。そのたびに彼は私のことを心配し声をかけてくれた。

そんなある日、私は二日続けて彼のマグカップを割ってしまった。私は自分の手を見つめ責めた。

「またやったか?」

 彼はニコニコしながらやってきた。

「私、人より物を包み込む能力が劣ってるんだね」

 私は手を見つめたまま心の中の思いを口に出していた。

「なんだ。今頃気付いたの?」

 彼は、あっけらかんと答えた。そして、

「確かに君は手で物を包み込む能力が低い。けれどその分、心で物を包み込む能力を持っているんだ」

割れたカップを片付けながらさらっと言った彼の言葉に、私の目から大粒の涙がポロポロとこぼれ出た。それを見た彼はあわてて「どうしたの?どこか切ったの?」と私のことを心配しだした。そんな彼の姿がなんだかとてもおかしくて、私は首を横に振りながら泣き笑いしていた。

その日から私は、洗物をはじめ全てのものを持つ時は手だけでなく、心を込めて持つようになった。おかげで少しは食器を割る回数が減った気はする。ただ元々のそそっかしい性分はどうにかなるわけでもなく、まったくそそうをすることがなくなったわけではなかった。

最終章

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