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指②

  『指』
      
つづき②

私はこの日、日が暮れるまで店内と彼の作業を黙って見続けていた。ただ見ていただけにもかかわらず、帰り際「また来ていいですか?」と小さな声で尋ねてみると、彼は手を止め優しく微笑み、静かにうなずいた。私は嬉しくなって自然と顔がほころんだ。

 その日から毎日のように私はこの店に足を運んだ。けれど、この店を訪れた本当の理由をまだ言えずにいる。「今日こそ―――」そう心に決め店の扉を開けると、一組のカップルが仲睦ましそうにアクセサリーを見ていた。

「ねぇ、これがいい」

そう言って女性が指輪を手に取ると男性は、「よし」といって女性から指輪を受け取り、店の奥に向かって声をかけた

「すみません」

木製の机の上には、

 ―――ただいまアトリエにおります。御用の方は声をかけてください―――

の札が立てかけてあったが、何度声をかけても店の主人はいっこうに出てくる気配がない。

「少々お待ちください」見かねて声をかけると、男性は少し驚いた顔で「あ、はい」とだけ答えた。

店の奥、アトリエに入ると、思ったとおり彼は作品作りに熱が入っていて、客が来ていることなど微塵も知らないようだった。そんな彼に客が来ていることを伝えると、あわてて店へと向かった。

「すみません。お待たせしました。どうぞおかけください」そう言って二人に椅子を勧め、後から出てきた私に「ありがとう」と声をかけ接客を始めた。私は照れながら会釈をすると、邪魔にならないようにすぐそこから離れ、そしていつものように彼の作った作品をひとつひとつ食い入るように眺めた。いつ見ても何回見てもそれらはとても温かく私の心を落ち着かせる。中でも愛らしい天使の付いた指輪が私のお気に入りだった。

少しして、何気なく先ほどのカップルに目を向けると、男性が数十枚のお札を彼に渡しているのが見えた。私は、見てはいけないものを見てしまった気がして、すぐに視線を元に戻した。

「すごい大金―――」そう思いながらお気に入りの指輪に目をやると、なんとなくその値段が気になり、私は値札を探してみた。けれどどこにも付いていない。改めて見てよく見ると、そこにある作品全てに値札はついていなかった。「フウッ」と軽く鼻から息を吐いた後、再びカップルに目を向けると、男性が女性の指に指輪を通していた。そのときの女性の幸せそうな顔は一生忘れられないだろう。

 帰り際、彼が二人に「お幸せに」と声をかけると、二人は声を揃え「はい」と答え寄り添って帰っていった。その後ろ姿に深々と頭を下げ、姿が見えなくなるまで店の外で見送る彼を見て私は、心が温かくなるのを感じた。

見送りを終えた彼は店の中に入ってくるなり「お茶でも飲もうか」そう言って私を手招きし、奥へと入っていった。

 アトリエの奥、一段上がって引き戸を開けると、小さな台所と押入れがあるだけの六畳ほどの畳の部屋があった。その奥にはトイレやお風呂があるのだろうか。住居というよりは、仮眠室といった感じだった。そこに入る気にはなれず、入り口で立っている私に、「インスタントだけど―――」そう言って彼は、温かいコーヒーの入ったマグカップッを差し出した。私は指先まですっぽり覆い隠す長い袖を手繰ることなくそれを受け取った。じわじわっと温かさが伝わってくる。

「こんなところでよかったら、どうぞ」

彼は敷居の上に座り私を見上げた。私は少し照れながら頷いて遠慮がちに隣に腰掛けた。猫舌の私は、しばしコーヒーの香りを楽しんだ。横目で彼を見ると、彼もまた猫舌らしく、カップに口を近づけては離し息を吹きかける、そんな動作を繰り返していた。そんな動作がかわいらしくも見え、また、滑稽にも見え―――。私は「ぷっ」と吹き出していた。

「熱すぎたね」彼は目を細めた。

「さっきはありがとう。君のおかげで助かったよ」

「いえ、私は何も―――」

深々と頭を下げる彼に私は恐縮し、マグカップの中で揺れるコーヒーに目を移した。そして、今ならここに来た理由を言える気がして、ドキドキしながら私は口を開いた。

「あっ、あのう!」私の上ずった声などまったく気にせず、彼は優しい目線をこちらに向けた。

「あ、あのっ、そのっ、あ、ああ、あそこに飾ってあるアクセサリーには値札が付いていないようでしたけど、なぜですか?」

 思わずまったく違うことを口にし、首を傾け苦笑いをしてみたが、これも聞きたいことだったので、よしとすることにした。

「僕はね、アクセサリーの価値は、作る側でなく付ける側の人が決めるものだと思っているんだ」

 優しい口調とは裏腹に、彼の目は真剣だった。

「だからね、本当に気に入ってくれた人のその価値で、値段を決めてもらってるんだ」

私はその言葉に少し圧倒されたあと「すてき」と小さく呟いた。

少しの沈黙のあと『チリーン』とお店の入り口の開く音がした。

「おっ、今日は忙しいな」そう言って彼はいつの間にか空になっていたマグカップを置き、店に出て行った。私は飲み頃になったコーヒーを一気に流し込むと、彼のカップを手に取り、畳の部屋へと足を踏み入れた。殺風景な部屋を見て、「どうやって生活してるのかしら?」と余計なことまで考えを巡らせながら、台所兼洗面所といった流しで二人分のマグカップを洗い部屋を出た。

 店に出ると三人の女子高生がキャァキャァと騒いでいた。彼は椅子に腰掛け、その様子を微笑ましく見ていた。

「ここのアクセサリーってさぁ、値段自分で決めていいんだってさぁ」

「うそぉ。じゃぁタダでもらっていってもいいってこと?」

「それじゃぁお店の意味ないじゃん」

少女たちはケラケラと笑いながら、アクセサリーを手にとっては着け、似合うだの似合わないだのしばらくの間騒いだあと、何事もなかったかのようにお店から出て行った。私は少女らの後姿に思いっきり「ベー」をしてやった。彼はというと、先ほどのカップルを見送った時と同じように「ありがとうございました」と深々と頭を下げ、そしてゆっくりと頭を上げた。その時の表情は、もとても穏やかで幸せそうだった。

「気にならないんですか?あんな風に言われて」

私は必死に気を静めそう尋ねた。彼は一瞬目を丸くしたが、すぐにまた目を細めて言った。

「彼女たちのあの幸せそうな笑顔。僕はあれだけで満足なんだ」

 私の胸の奥が「きゅん」と鳴った。

 帰り道、私はポケットから一枚の紙をとり出した。

――― 急募 アシスタント募集 ―――

 お店の外に貼ってあったチラシ。窓から覗いては心惹かれたアクセサリーの数々に、「こんなお店で働けたらな―――」と、意を決して店に足を踏み入れたというのに、未だ躊躇している。私は少しの間そのチラシを見つめ「フゥ」とため息をついた後、丁寧に折りたたんで再びそっとポケットにしまい込んだ。

あくる日、やはり私は何も言い出せずにただ作品を見つめていた。というより、ここに来ると、そんなことはどうでもよくなってしまう自分がいる。

「かわいい」そう声に出していたのかいないのかよくわからないけれど、いつの間にか私の後にいた彼がそっと私のお気に入りの『天使の指輪』を手に取った。

「そんなに気に入ってもらえると、この子もきっと喜んでいるよ。ほら見てごらん」

そう言って彼は私と横並びに立ち指輪を見せてくれた。

「ほら、表情が穏やかだろう?」

「え?指輪が?」

私は半信半疑で天使をよーく見てみた。

「ほんとだ―――」

不思議なことに最初に見たときと、明らかに表情が違って見えた。

「アクセサリーはね、その人の想いが通じるんだ。着けてみるとわかると思うよ」

彼は左手をそっと出し、私の右手を誘った。

「え、いえ、いいです」

私は咄嗟に両手を後ろに隠した。

「遠慮しなくてもいいのに」彼は残念そうに頭をうなだれた。

「ごめんなさい」そういってバツが悪くなった私は、両手を腰に当て上下に拭った。するとここぞとばかりに、それはまるで悪ガキが何かを企んだ時のような表情で、彼は私の右腕を掴んだ。「遠慮はなしだ―――」そう言って私の手をすっぽりと覆い隠した長い袖をめくり上げたその瞬間、彼の顔がにわかに曇ってくのがわかった。

「いいの。気にしなくていいんです。慣れて―――ますから―――」

 私はめくりあげられた袖をあわてておろし、思いっきり作った笑顔で平静を装った後、彼に背を向けた。すると、彼の腕が後から優しく私を包み込んだ。

「ごめん」そう言った彼の体は、かすかにに震えていた。

「気にしなくていいんです。本当に気にしなくて―――」

 私の目からこぼれた大粒の涙が、彼の手の上ではじけ散った。

『指』③

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