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指 最終

『指』

        最終    

このお店に来て二年が過ぎた頃、私はこのお店をすっかり任されていた。最初は接客なんてとんでもないと断っていたが、彼になじみの客を紹介してもらっているうちに、少しずつできるようになっていった。そして彼の勧めで思い切って指を覆う長い袖の服をやめ、全てを出してみたことが私を変えた。最初は驚きもされたが、それも少しの間だけで、こんなに気持ちが軽くなり毎日が楽しくなるなら、もっと早くからこうするべきだった。なんて勝手なこと思ってみたりもして。

そんなある日、近くのイベント会場でひとり一点持ち込みで参加する作品展の話が舞い込んだ。できるだけ多くの方に作品を見てもらうには、絶好のチャンスだ。彼も私も二つ返事で飛びついた。出展作品は彼と私が初めて出合った日に作っていたあの『女神』。

三日間行なった作品展は大反響で、連日とてもにぎわっていた。冷やかしに来る客もいたが、どこかのお偉いさんであろう方も数多くみえた。大金持ちのマダム、大企業の社長、有名な宝石デザイナー、テレビの向こう側でしかみたことのない著名人なんかもいた。彼らは、気に入った作品があると値段の交渉に入る。各ブースで商談を持ちかけている人の姿を見かけた。サインをしている姿も見受けられた。もちろん彼のところにも何人かやってきて、びっくりするくらいの高値を付ける人もいたが、彼はこの作品を手放すことはせず、店の住所の入った名刺を渡し、丁重に断っていた。また、彼の技を気に入ってくれた宝石会社の社長がすごい契約金を積んで話を持ちかけてきたが、それも言葉だけ受け取って断った。

たった三日間、私は彼の後ろでただ笑みを絶やさず立っていただけだったが、緊張しっぱなしで終わった時にはくたくただった。それでも、いつもになく少々興奮気味の彼を見ていると、不思議と疲れも飛んでゆく。

全ての日程を終了し、丁寧に包んだ『女神』を箱の中に入れると彼は、「ちょっと待ってて」とそれを私に手渡し、主催者らしき人のところへ挨拶に向かった。私は『女神』をかばんの中に納め、彼が帰って来るまでの時間じっと待っていた。

「ごめん、待たせちゃったね」

少し長く時間がかかったのは、このあと行なう打ち上げへの参加を断っていたから。彼は、私の事を気遣ってたくさんの方に頭を下げて回った。それは時折見えた彼の行動で理解できた。

「いいの?」と言う私の問いに、彼はただ優しく微笑み「さぁ、帰ろう」とかばんを受け取り会場を後にした。

店までおよそ三十分。二人で並んで歩いた。「すごかったね」「うん」「何でこの作品手放さなかったの?」「何でだろうなぁ」「参加してよかったね」「うん」続かない会話を楽しみながら、ゆっくりと歩いた。彼は満足げだった。顔を見ればわかる。「二人で打ち上げしよっか」道路の向かい側にある自動販売機を見て、私は冗談まじりに言った。すると彼は「いいねぇ」と言って持っていたかばんを私に預け、「買ってくる」と急いで走っていった。いつもと変わらないように見えるけれど、微妙に違う言葉と行動。「よっぽど興奮しているんだろうなぁ」彼の普段見せない部分を見た感じがして、ちょっぴり嬉しかった。そんな思いを胸に彼の背を目で追っていると、突然何かが私の握るかばんを引っ張った。

「なに?」私は咄嗟にかばんを持つ手に力を入れ振り向くと、帽子を深くかぶった男が私の―――いや彼のかばんを私から奪おうとしていた。私は無我夢中でかばんを引き戻そうとしたが、私の手でこのかばんを守るには機能的に無理があった。私の手はこのかばんのもち手を完全に掴みきることはできない。指で挟むというだけの握力とはいえない力で私は男に抵抗するしかなかった。しかし必死の抵抗も虚しく、かばんはものすごい勢いで奪い去られ、その拍子に私は前のめりに倒れた。あのかばんの中には『女神』が―――。

「ダメーッ!」

 やっとの思いで声を出した時には、男の姿はどこにもなかった。悔しさと情けなさが胸を締め付ける。右手首の激しい痛みと息苦しさに、私はそのまま意識を失った。

 夢の中で私は「女神」を追いかけ走り続けていた。苦しくて苦しくてもがきながら、それでも走っていた。

私は、彼に頬を叩かれて目が覚めた。病院だった。皆が私を正気に戻すために必死だった―――らしい。無意識に叫び暴れていたようだ。しかし、なぜ―――?

私は記憶を辿った。そして奪われたかばんと帽子をかぶった男と言い知れぬ恐怖を思い出し、震えが止まらなくなった。

「女神が!女神が!―――キャァーッ」頭の中が変になりそうだった。何とかして欲しい一心で叫び声をあげ続けた。

「大丈夫。落ち着いて」

取り乱す私をギュッと抱きしめ、彼は何度もそう言った。私は必死にその腕にしがみつき、どこかに行ってしまいそうな自分を繋ぎとめた。彼の手が私の髪を優しく撫でる。乱れた自分の呼吸が私の存在を明確にしだした。私は彼に言われるまま大きくゆっくりと呼吸し、身体力を抜いた。彼の鼓動が聞こえる。徐々に落ち着きを取り戻すと、私は彼に謝るための言葉を探し始めた。涙がとめどなく溢れ出る。

「かばん、守ってくれてありがとう」

彼は静かにそう言って微笑んだ。けど、けれど―――。私がその先のことを口にしようとすると、彼は人差し指を口に当ててそれを遮った。そして手の中からそっと『女神』を出した。

「え?」

「かばんもこの通り」

 彼は微笑みながら見せてくれた。私は驚きのあまり言葉を失っていた。

 かばんを持ち去った男は、偶然にも彼の目の前に現れたらしい。その時のもみ合いでできたアザが彼の顔に痛々しく残っている。そのことに今頃気が付いた私は、思わず声を上げて泣いた。

「どうしたの?どこか痛い?」

 彼はやはり優しかった。

診察の結果私の右手首の腱は断裂していた。それだけなら通院治療も可能だったが、精神的ダメージを心配した医師の判断で、しばらく入院することになった。とはいえ検査以外することはない。有り余る時間。そうなると、ついつい余計なことを考えたりしてしまう。ただでさえ握力のないこの手、年をとって全てが衰えだしたらどうなってしまうのだろうか?いつか、何もつかめなくなるときが来るのだろうか?そんなあるかないか分からないようなことを考えては不安になっていた。右手のリハビリが始まった時は追い打ちをかけるようだった。力が入らない―――。本当に治る?そんな思いとはうらはらに、私の右手は数日後には違和感は残るもののしっかりと動くようになった。

 そして入院から一カ月後、ようやく退院の許可が下りた。「あまりストレスをかけないように」と医師に忠告され診察室を出た。するとそこに彼が立っていた。私は嬉しくて彼に飛びついた。

「お帰り」

彼の耳元でのささやきに、「ただいま」と思わず彼の唇にちょんとキスをしていた。ここは病院だった。

 そして私のケガもすっかり治り以前のような生活が始まった。少し違うところといえば、店に訪れる人の数が増えたところかな。作品展の影響らしい。

 そんなある日、帰ろうとする私を彼が引きとめた。

「ちょっと―――」

 彼は店の奥から箱を持ってくると、

「やっとできたんだ」

そう言って箱のふたを開けた。そこには『女神』のネックレスと、『天使』のイヤリングが入っていた。

「ずっと僕のそばにいて欲しい」

 真顔で言った彼の言葉がとても嬉しかった。私は心のどこかでその言葉を待っていた。けれど、私は彼に背を向けた。

「ありがとう。けど―――受け取れない―――」

「なぜ?僕じゃぁダメかな?」

 私は首を横に振った。

「あなたじゃなくて、私じゃダメなの」

 私は、自分の指に目を落とした。

「こんなのは、理由にならない。ただちょっと他人と違うだけじゃないか」

私の前に回り込んだ彼はこの手を握り、瞳をそらさずにそう言った。私は泣きたくなかったから、わざと笑ってみせた。

「カップ割っちゃうよ」

「買えばいい」

「カッコウ悪いよ」 

「そんなことない」

「子どもにも遺伝するかも」

「構わない。怖ければ作らなきゃいい」

彼は真剣だった。けれど、真剣であればあるほどこわい―――。

「嬉しい。嬉しいけど、ダメなの。今はいいわ、なに不自由なく指も動く。けど、この前のケガでわかったの。いつかこの指は動かなくなる。いつか力尽きて―――もしそうなったら―――」

少し胸が苦しくなった。けれど胸の内から出る感情を抑えることはできなかった。呼吸が荒くなり、指先がジーンとしびれだす。

「僕の指をあげるから。もしそうなったら、僕の指―――いや、手をあげるから。だから何も心配しなくてもいいんだ」

 そういって私を抱きしめ、そっと髪を撫でた。苦しかった胸がスーッと楽になった。

 そして私は彼の妻になった。

 十年後。私たちは今、三人の娘にとともに楽しく暮らしている。私の指は今も健在だ。私の取り越し苦労だったのかもしれない。日夜医学は進歩している。モしこの先私の指が動かなくなったとしても彼の手をもらわずに済みそうなくらい。ただ、健康保健証の臓器提供欄には、彼の字で「両手は妻に」と書き添えられていた。

                                    終 

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