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カルマの坂②

小説部『企画小説』の続き、完結話。 

 

第一話はこちら

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 それから二日たったその日の夕方。少年はパン一個を持って街中を逃げ回っていた。ここ最近盗める品がぐっと減っていた。街の保安体制が変わり、街のところどころに兵隊が立っているのだ。ねぐらをつきとめられたらこの町には居られなくなる。少年は走った。何とか逃げ切って屋敷の前に着いたころには、もう一歩も歩けない状態だった。すでに日は落ち、夜のとばりで辺りは見えにくくなっていたが、それでも少年は念のため、疲れきった体を引きずりながら植え込みづたいに屋敷の裏へまわった。そこは荒れ放題の雑木林。少年は腰を下ろし、半ば放心状態で未だ乱れた自分の呼吸を聞きながら、やっとの思いで手に入れたパンを見つめた。そしてこの先のことを考えようとしたそのとき、自分の真後ろに人の気配を感じた。少年は咄嗟に植え込みから離れ逃げようとしたが、疲れきった体はいうことをきかない。そこから少し離れるのがやっとだった。それでも身体を低くし、息を殺してしばらく様子を窺った。しかしそれはいっこうに動く気配を見せなかった。不思議に思った少年は、わずかに届く月明かりで鉄の柵の向こう、植え込みの中を覗いてみた。

 ――― えっ? ―――

 目を疑った。そこにいたのはあの日、最後にこの屋敷に入っていった少女だった。植え込みの影に隠れるように小さくうずくまり、なにかに怯えていた。その瞳の奥は、確かに飢えていた。いつからここにいたのだろうか?少年は声をかけようとして、自分の持っているパンに気が付いた。

「お腹、すいてるんだろ?」

 そう言ってパンを差し出した。少女は生唾を飲み込み一瞬ためらったが、少年の手から奪うと、むさぼるように食べ始めた。少年は驚きはしなかった。皆そうなのだ。飢えたものは皆―――。そうなると、次に少女が欲しがるものは分かっていた。水だ。少年は「待ってろ」と言い残し、疲れきった体を引きずってその場を後にした。

 それからどのくらいの時が過ぎただろう。少年は自分のねぐらにあった残りわずかな飲み水を、子どもの頭ほどの大きさの薄汚れた木製の椀に入れ、こぼさないよう慎重に歩いて戻ってきた。少女は少年のその姿を見て、目の色を変えた。カサカサに乾ききった唇が「水、水」と無意識に呟く。少女は鉄の柵に細い身体をくい込ませ必死に手を伸ばしたが、あと少しというところで少年は足を止めた。

「―――」

少女の伸ばした指先が行き場をなくし空を彷徨った。

「少しずつだ」

少年は、左手の人差し指を立て、まるで父親が幼い娘を諭すかのような口調でそう言った。少女は伸ばした手を戻し、鉄の柵をぎゅっと握り締めた。少年はそっと近づくと、水の入った椀を差し出した。

カツン

椀が柵に当たって止る音が、静かな空間に響き渡った。少年が椀をそっと傾けると少女は震える両手で器を作り、水が注がれるのを待った。椀から流れ落ちる水をその手に受けると、震えは一層大きくなった。手から水がこぼれ出る。少女はそれすらも飲み干そうというような勢いで急いで口に近づけた。

ゴクン

のどの鳴る音が聞こえた。足りないとばかりに再び差し出された少女の手に、ゆっくりと水を注ぐと、少年は無意識に口元を緩ませ、水を飲む少女の仕草をじっと見つめていた。

決して十分とはいえないが腹を満たし潤いを得た少女の表情は、幾分落ち着きを取り戻していた。

「こんなところにいて、叱られないの?」

 少年は、言葉を選び質問してみた。少女は鉄の柵にもたれるかたちで腰を下ろし、ひざを抱えうつむいた。

「自由だから―――」

 少しおいて、聞き逃してしまいそうな小さな声でそう答えると、少女は唇をギュッと結んだ。少年はもう何も聞けなかった。

 次の日少年は、屋敷の裏の様子を、少し離れた木の影から窺っていた。そして少女が昨日と同じ場所にいるのを確認すると、そのまま立ち去り街へと急いだ。それは、無謀としか言いようのない行動。いつ捕まってもおかしくない状況下で少年は、生きるためだけではない盗みをしはじめた。

 あくる日も、そしてまたそのあくる日も、少年は走った。空腹をこらえ走った。二人分の食料は無理としても、せめて一人分。そう思って走り続けた。

 この日やっとの思いで盗ってきたのは、りんごひとつだけだった。日が沈むのを待って、少年が身を小さくしながら屋敷の裏にまわると、鉄の柵にピッタリ体を張りつけそわそわと待つ少女の姿があった。少年が傍まで寄ると少女は手を伸ばし、少年を抱きしめた。少年もまた同じようにした。そして、

「今日はこれだけだ―――」

 少年が砂まみれになった手でりんごを差し出すと、少女はその手に自分の手を添え目を潤ませた。

「もういいの―――」

「え?」

少女は少年の目を見つめ、もう一度言った。

「もういいの。私はもう何も要らない。あなたさえ無事でいてくれればそれで―――」

 少年は思わず少女の唇に自分の唇を重ねた。少女は一瞬身体を硬直させ後ずさりしようとしたが、身体は逆の行動に動き出し、止めることはできなかった。それは「愛」なのかそれとも「慰め」なのか。二人は硬く冷たい鉄の柵を挟んで、しばらくの間、抱き合っていた。少年の手から転がり落ちたりんごは少しの間転がり、大きな茶色い革靴に当たり止った。そしてその革靴は、ゆっくりとそのりんごを踏みつけた。

 「いたぞ!」

 突然の声と無数の灯りに二人は抱き合っていた手を緩め、辺りを見渡した。少年の背後には十数人の憲兵隊が、そして少女の後ろには、今なおりんごを踏みにじる醜く太ったこの屋敷の主人が、二人のメイドと共に立っていた。少年はあっけなく捕らえられ、少女は握られた右手を必死で解こうとしていた。憲兵の一人が柵の側まで寄って主人に向かって敬礼をした。

「通報ありがとうございます」

 そう言い終わると、憲兵隊は一斉に向きを変え歩き出した。少年は半分引きずられるようなかたちとなったが、それでも少女から目を離すことはなかった。少女は衝動的に少年のほうへ向かって駆け寄ろうとした。

「野良犬が!」

 主人は少年をののしった後、少女を思いっきり引き寄せその唇を汚い唇で奪った。

「やめろ!」

少年は叫び暴れた。しかし大勢の憲兵の前にどうすることもできず、地面に顔を叩きつけられ気を失った。少女は抵抗も虚しく屋敷の中に引きずり込まれていった。

気が付くと少年は牢獄の中、刑の執行場でうつ伏せに倒れていた。上半身裸で、両手を後ろ手に縄で縛られていた。そっと顔を上げると、数人の見物人が物珍しそうに場外からこちらを見ている。自分の置かれている状況を理解するべく必死に記憶を辿ろうとしたそのとき、いきなり背中に激痛が走った。

「!」

悲痛な叫びが牢獄中に響き渡る。この時代盗み人の刑は鞭打ちと決まっており、そしてそれが何の前触れもなく始まったのだ。子どもとて容赦はしない。鞭打ちの経験者は両手で耳を塞ぎ恐怖に身を震え上がらせた。

それは牢獄中が眠りについた後もなお続いていた。縛っていた縄はいつしか切れ、少年の両手は自由になっていたが、抵抗する気力はもはや残っていない。ただ少しでも避けようと、壁際に逃げるしかなかった。

「交代だ」

 時間毎に次々と代わる刑の執行係。次に鞭を打つ刑の執行係りが交代に来た。この時間にもなるとすでに見物人もおらず、少年と執行係りだけになっていた。新たに来たこの男はすぐに鞭を打つことはせず、少しの間少年の周りを歩いていた。少年は体中が腫れ内出血を起こし、ところどころ血がにじみ出ていた。あまりの痛さに身体を伸ばすことすらできない。それでも脳裏にはあの薄汚れた唇に奪われた少女の横顔が鮮明に残っている。少年は両手の拳を握り締めた。それを見て男は口を開いた。

「あの中年オヤジは性欲が盛んでな、しかも自分の体つきとは正反対の、痩せた女が好みらしい。気に入られた女は食事も与えられず、死ぬまで抱かれ続ける。まるでおもちゃだな」

 その言葉に少年は、自分の中で何かが壊れてゆくのを感じた。抱いた憎しみは人を狂人へと変貌させる。少年は壁を背にゆっくりと立ち上がった。その表情に男はたじろぎ、やみくもに少年めがけ鞭を打った。そのいくつかは確実に身体に当たっているにも関わらず、それでもこちらを睨み続ける少年に男は恐怖し、やがて鞭は威力を失った。偶然にも少年がいるすぐそばの壁には、打ち首用の剣が架かっている。察した男が背を向けた瞬間、少年は剣を抜きとった。思ったよりもそれは重く、切っ先はそのまま一直線に地面へと向かった。少年はその勢いを利用し剣を振りぬいた。切っ先は地面をかすめ、男の背を捕らえると、天を指して止まった。男は背中から血を噴出し、声もなく前のめりに倒れていった。地面が男を中心に血の色に染まってゆく。少年は全身に浴びた返り血を拭おうともせず、痙攣を起こしている男の身体を見つめながら剣を静かに下ろし、そしてその横を通り過ぎた。外部との出入りが自由刑な執行場は、見張りさえいなければ外に出ることは簡単だ。今夜は刑の執行中ということもあり、少年は簡単に外に出ることができた。

――― 向かうべきは、カルマの滞る屋敷 ―――

あれだけ鞭打たれた身体ではあったが、今の少年にその痛みを感じる余裕などなかった。一歩一歩足を踏み締めるごとに沸いてくる憎しみ。

――― ガーッ ―――

いつしか少年は剣の切っ先を地に着け音を立てて歩いていた。月のない真っ暗な夜空、降り注ぎそうなくらいの星が絶えることなく瞬いていた。

 少年は上る。カルマの坂を、一歩一歩踏みしめ、憎悪に顔を歪めながら―――。

 屋敷の前に着くと少年は門の中に剣を入れ、自分は身軽に門をよじ登り中へ入った。あいかわらず干からびた噴水が、黙って突っ立っている。

玄関の戸を蹴破ったその音は、静寂な夜に響き渡り、屋敷中の目を覚まさせた。少年はなおも切っ先で地面をこすり、奇妙な音を立てながら中に入ってゆく。少年の姿に悲鳴を上げて走り逃げるメイドたちには見向きもせず、ただ階段の上で驚き慌てふためき逃げ惑う主人を追った。

じょじょに追い詰められ、やがて逃げ場を失った主人は、少年に向かい突然命乞いをしだした。

「す、すまなかった。たっ、た、助けてくれ。欲しいものは何でもやる。金か?食い物か?お、女か?ん?」

 しかしその声が、少年の耳に届くはずはなかった。目の前にあるのは薄汚れた唇。主人の目が振り上げられた剣の切っ先を凝視していた。剣の重みに憎しみという重みを加え、少年は剣を振り下ろした。主人は声の代わりに血しぶきを上げその場に崩れ落ちる。息も絶え絶えの主人の顔を覗き込むと、その瞳はまだ「助けてくれ」と叫んでいた。少年は切っ先を主人の胸に突きつけ、力を入れようとした。

――― コトッ ―――

わずかに聞こえた背後からの物音に少年は振り向いたが、後ろを見ても誰もいない。慌てて主人に目を向け直したが、すでに息絶えていた。少年は剣を片手に部屋中を探した。あらゆるものを退かし探し続けた。そしてようやく、大きなクローゼットの隅に少女を見つけた。彼女は立てなくなるほど衰弱しきっていた。少年は剣を置き、少女を抱き上げようと身体を近づけてはじめて気がついた。少女はすでにあの時の少女ではなくなっていた。瞳は空を見つめ、訳のわからないことを呟いているその口元は唾液すら飲むこともできず、ただときどき微笑んでいた。少年はそんな少女を抱え、側にあった椅子に座らせると、はしばらくその姿を見つめ続けた。そしてそっとくちづけた。突然少女の口元から呟く声が途絶え、空を見つめていた瞳が悲しく少年を見つめた。少女は魂心の力を注いで立ち上がった。そして一瞬少年に向かって微笑みかけると両手を広げ目を閉じた。少年は慌てて剣を手に取り、雄叫びを上げて振り下ろした。少女は声もなく後に崩れ、再び椅子にストンと腰をおろした。優しく開いた目は少年を見つめ続け、口元はかすかに微笑んだまま、少女は息絶えていた。

 「腹減ったなぁ―――」

 空には今にも降り注ぎそうな満天の星。干からびた噴水の中で少年は、冷たくなった少女と並んで夜空を見つめていた。

――― 善には善を、悪には悪を ―――

少年は、そんな言葉を思い出して「フッ」と鼻で笑い、静かに目を閉じた。

それが少年の最後だった。

 やがて朝日が差し、少年の眠った顔を照らす。

肩を寄せ微笑んでいるようにも見える二人に、永遠の朝が来る。

 

                   

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