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ユキ(ヴィラⅢ)

《ユキ》

 街から離れた森の中にある一軒家。私はそこで、愛する人とともに暮らしている。
 「シン、早く起きないと遅刻するわよ」
 そう言って私がベッドに飛び乗ると「ガタン」と音を立てベッドの足が一本壊れた。
「あ―――。嘘―――?」
 ベッドの下を覗き込む私に
「太りすぎだ」と小声で呟きながらシンは、食事をするべくダイニングへと向かった。
「おかしいわね?今日からエアロビクスでも始めようかしら?」そう言いながら後を追う私に
「やめとけ。床が抜ける」と振り向きもせずシンはそう言った。
「ひどーい。シン!」
 そう言ってそっと後からシンに抱きつくと、シンはいつものように私の頬にキスをした。
 「いってらっしゃい」
 シンが仕事に出かけると私は一人ぼっち。洗濯をし、食器を洗い、家の中を隅々まで掃除しても有り余る時間。
「ようし、やってみるか―――」私は時間を確認し、テレビをつけた。
「1・2・3・4・5・6・7・8,1・2・3・4―――」
 テレビから流れる軽快な音楽と、「ワン・ツー」というインストラクターの声。
「前・横・前・下、脚を上げて、駆け足!」
 ―――バキッ―――
 やってしまった。綺麗に床を貫いた私の右足は、引っ張ってもびくともせず、床の損傷を最小限にとどめるのは至難の業だ。とはいえ床を壊すのもどうかと思い、困った私はなす術もなく「あーあ」とため息まじりの声を出して、そのままそこへ大の字に寝転がった。シンの書斎のステンドグラスから入った陽の光が何かに反射して天井に幻想的な模様を浮かび上がらせていた。それはまるで―――。
  気がつくと私はソファーに座る彼の膝を枕に横になり、いつものように彼に髪をなでもらっていた。
「よかった。気分はどう?」
「え?」
 彼の言葉の意味が理解できない私は、必死で記憶を辿ってみた。困った顔で考え込む私を見て彼は、片足を床に突っ込んだまま倒れている私を見て驚いたことを話してくれた。
「あ―――」
 私は床に穴を開けたことを思い出し、バツが悪そうに身体を小さくした。
「怪我したのが床でよかった」
 彼は冗談っぽくそう言った。いつもそうだ。私がどんな失敗をしても、何よりもまず先に体の心配をしてくれる。そのやさしさが私を素直にさせてくれる。
「ごめんなさい」
「いや。今朝僕が君を傷つけたから―――」
 髪をなでる手を止め「ゴメン」と私を見つめてそう言ったあと、彼は再び私の髪をなでながら続けて言った。
「体は冷たいし、呼びかけても反応しないし、どうにかなっちゃったのかと思った―――。ベッドの足は、ネジがゆるんでた。床は、見ての通りこの家は古い。君のせいじゃない。だから気にしないで―――」
「ううん。やっぱり悪いのは私。家の中で飛び跳ねるなんて―――」
 そう言ったところで、一瞬目の前が歪んだ。
「ごめんなさい、シン。私、なんだか疲れてるみたい―――」
 シンは私の長い黒髪を耳にかけ、そっと覗き込んだ。
「大丈夫?僕がずっとこうしていてあげるから、心配しないでゆっくりおやすみ」
 シンの暖かい手が私の髪をなでるなか、私は深い眠りの中に落ちていった。

 「あたりまえさっ」
 誰かがそう私に微笑みかけたところで、突然眠りから覚めた私は、頭を抱えうつむき加減だった。そう。この私の大好きな卵型のロッキングチェアーの上で、なぜか憂鬱な気分にさいなまれていた。
「気分はどう?」
 シンが台所から声をかける。
「気持ち悪い―――」
 そう言うと、シンはあわてて駆け寄り、私のおでこに右手を添えた。
「熱はないみたいだけど―――疲れてるんじゃない?」
「そうかなぁ?」
 怪訝そうな顔をしてみたものの、気持ちの悪い感覚は消えはしなかった。
「もう仕事に行かなきゃならないんだけど、ひとりで大丈夫?休もうか?」
「大丈夫。熱もないんなら、じきに良くなると思うから」
 ――― 私はあれから、ずっと寝ていたの?―――
 そんな疑問がよぎったが、それはシンが仕事から帰ってきてから聞けばいいと言葉を呑み込み、ロッキングチェアーに座ったまま彼を見送った。しばらくの間、立とうという気にはなれなかった。なんだか世の中がまわるのだ。
――― そうだ、確か彼のパソコンが上にあったわね ―――
 この症状を調べてみようか。そんなことを考えながら、何時間もうつらうつらと椅子に揺られていた。
 西側の窓から少し日差しが入るようになった頃ようやく気分も良くなり、私は椅子から立ち上がった。ぐっと伸びをし、頭の中を完全に目覚めさせ、
「ようし!」私は、彼の書斎であるロフトに上がるべく、はしごに手をかけた。慎重に一段一段上り詰め、最後のひとつに手をかけようとしたときである。はしごを掴んだはずの右手は空を握り、身体がふわっと浮いた。目の前に広がる天井は窓から差し込む光でゆらゆらと揺れて、それはまるで水の中にでもいるような錯覚に陥るほど美しく、そして驚くほどゆっくりと静かに遠ざかっていった。
 ――― バーン! ―――
 耳を劈くような音が家中に響き渡り、私の目の前は真っ暗になった。

 「キム ――― キム?こんな身体でも私に抱きついてくれる?」
 そう言って私は、ギシギシと軋んだ音を立てる身体を引きずるように何かを求め歩いていた。目の前にいる誰かに手を差し伸べようと伸ばした右手を見て、私は止った。 ――― なに?―――
 指先の皮膚はただれ、その中から錆付いた金属が見えていた。それは指先だけではなかった。両手両足、見えるところ全てがスクラップ寸前の機械の体―――あわてて鏡を探し、おそるおそる顔を覗き込んだ。
「キャーッ!!」
 そこで目が覚めた。天井が遠いところから私を伺っているように見えた。
 ――― なに?なにしてるの?私 ―――
 放心状態とは、こういうことを言うのだろう。
「あっ」
 そうだった。あそこから落ちたんだ―――。私は床に、大の字になって倒れていた。ゆっくりと首を動かし右手を見た。動かすと、ちゃんと動いた。同じように左手も見た。しっかり動くようだった。そうやって、体全体の状態を寝たまま確認すると、安堵のため息をついて、私はゆっくり上体を起こした。
 ――― カラン ―――
  小さな金属が落ちたような音に、見ると小さな金属が転がっていた。
「また何か壊れたのかな?」
 そう呟いてその小さな金属を握り締め、そしてゆっくりと立ち上がった。頭の奥で少し軋んだような音がしたが、それでもどこも怪我をしていないようだったので、このことは、シンには内緒にしておくことにした。私は夕飯の支度をすませ、ソファーに座りシンの帰りを待った。ポケットにしまったままの拾った金属に気がつき、出して眺めてみると、それは何かの蓋のようにも見えた。直径7mmほどで薄いそれは、チタン製のようだった。不思議な点といえば、片側に柔らかい素材がついていること。
 ――― なに?―――
その部分を触ろうとしたとき、
「ただいま」というシンの声が玄関から聞こえてきた。私はそれをソファーの前のテーブルに置いたまま、シンを出迎えに玄関にむかった。
「おかえり!」
 私の弾む声にシンも応え
「良かったー。元気になってる。ただいま!!」
 そう言って彼は満面の笑みで私の顔に指を伸ばした。すると突然「バチッ」と音を立てものすごい電気が走った。静電気だ。その瞬間「あたりまえさっ」と言う声が私の耳に届いた。
「え?」
 私は辺りを見渡してみたけれど、声の主らしきものはどこにもいない。
「イッタァ」
 シンのその声に我に返り、見ると彼は両手を振っていた。私にはさほど痛みは感じなかったけれど、シンのほうはかなり痛かったらしい。
「大丈夫?」
 シンの顔を覗き込むようにして声をかけると、彼はおそるおそる、もう一度私に触れた。今度は大丈夫だった。
「プーッ」彼はたまらず吹き出した。
「すごい静電気だったね」そう言いながら笑っている彼を見て、私も思わず吹き出した。この幸せな日々は、彼がいるから。彼がいる限り、終わることはない。
 そして食事も終え、シンはいつものようにソファーに腰掛け私を手招きした。私は彼の横に座り、そしてそっと膝の上に頭を乗せた。
「本当にもうどこも悪くない?」
 そう言いながら私の髪を優しく撫でるシンの手。その温もりにうっとりしながら私は、
「大丈夫」そうひと言だけ答えた。少ししてシンは突然手を止め、「これは?」とテーブルの上に置きっ放しにしてあった例の金属に手を伸ばそうとした。
「あ、こ、これ?床に落ちてたの。また何か壊れたのかしらね」
 私はあわてて身体を起こすとそれを手にし、しどろもどろにそう言った。
「そうかも知れないね。貸してごらん。僕が探して直しておいてあげるよ」
 そう言って差し出されたシンの手のひらに、私は躊躇しながらその金属をのせた。すると彼はその金属を私の手ごと両手で包み込み、ぐっと自分の方へ引き寄せた。不意に引っ張られた私はバランスを崩し彼の胸の中へと崩れ込んだ。
「愛してるよ」彼は優しくそして力強く抱きしめ、そうささやいた。シンの唇が私の唇を優しく覆う。私は静かに目を閉じ彼に身を任せた。         
 いつの間にか眠っていた私は、不快な音で目を覚ました。
 ――― なに?一体なに?―――
 あまりの事に状況が理解できなかった。
「シン、一体どういうこと?」
 シンはパソコンの画面を見つめ、何かを打ち込み続けていた。突然私の目の前にノイズが走る。
「シン、答えて!」
 そう叫んでいる私の身体は床の上でバラバラになっていて、テーブルの上にいる私は、首から上だけしかなかった。なのに、『なに?』と言う疑問以外には冷静な私に、自分自身不気味さを感じていた。またノイズが走る。
「あたりまえさ」
 頭の中で、あの声がする。彼のパソコンの画面には、子どもの顔が―――。そう男の子。
 ――― 私に優しく微笑みかけてくれているの?―――
「キム―――」
 なぜかそう呟いていた。
――― キムって誰?―――
――― 彼がキムよ ―――
――― 一体誰?―――
 私の頭の中が、「キム」でいっぱいになった。その時
「どうしても、これだけが消すことができないんだ」
 シンが、パソコンに打ち込む操作をやめ、画面に出た男の子の顔を見て呟いた。私の目の前のノイズが一瞬にして晴れ、頭の中はキムとの思い出でいっぱいになった。
「キム。私の息子―――」
 私は、涙が止らなかった。あの日の朝、キムと話した会話がふと蘇る。
「身体が新しくなっても、同じように抱きついてくれる?」
「あたりまえさ」
 そう、私は解体寸前のアンドロイド。
「なぜ、私はここにいるの?」
 その質問にシンは、私のほかの部品を丹念にチェックしながら答えてくれた。
「あの日、海に落ちた君をあそこにいた人たちで引き上げた。防水加工していなかった君の体は隅々まで海水に侵され、誰もが皆スクラップ行きだと言ってた。そんな君を、どうせスクラップにするなら、今後のアンドロイドの研究にと、譲り受けた」
 淡々と語りながら、シンは私の身体を組み立て始めた。
「ひとつひとつ丁寧に解体し、使えるものはそのままに、使えないものは新しいものと交換し、より最新のものに近づけるために―――。今でもこうして時々メンテナンスしている。かなり人間に近いだろ?ただ、脳の中は解体する勇気がなかった。費用も莫大なものだしね。幸い海水の浸食を免れていたし、僕のパソコンと繋げればデータはいくらでも変えられた。ただひとつを除いてはね―――。だから、それに鍵をかけたんだ。勝手に開かないよう」
 そう言い終わる頃には、身体はほぼ完成していた。あとは、私と組み付けるだけ――― 「あれから、どのくらい時間がたったの?三年?五年?」
 ――― お願い十年と言って―――
「半年」
 その言葉に私は、諦めがつかなくなった。
 ――― 今なら、まだ―――。
 キムに会いたい ―――
「一年.あの事故から一年僕は待ったんだ」
 そう言いながらシンはキーボードを叩いた。
―――無理だ。もう新しい代理ロボットがいる。僕が届けた―――
 その言葉が私の思考回路に直接伝わったあと、目の前にノイズがではじめ、そして何も見えなくなった。シンの指が叩くキーボードのカタカタという音だけが私の耳に響き渡る。その音に掻き消されながらもわずかに届いたシンの声。
「そうだ、ユキ。編み物でもするといい。そうすれば余計な詮索はしなくなる」
 そして全ての音はじょじょに小さくなり、やがて静かになった。
 ――― キム、また会えるわ。だって私はアンドロイドだもの ―――
 ――― ね、そうでしょ?キム―――
 ――― キム?誰?―――
 ――― シン。愛してるわ。シン ―――
 ――― あたりまえさっ―――
 ――― シン!シン?どこなの?―――                         
「ねえ、しっかり!あぁ―――良かった―――大丈夫?」
 目を覚ますと私は大の字になって床の上に倒れていた。遠く離れた天井とシンの顔が、私を心配そうに見つめていた。 
「?」
 放心状態とは、このことを言うのだろうか
―――そうだ。はしごから落ちて―――
「大丈夫?」
 ボーっとしたままの私に、シンが心配そうに尋ねた。
「う、うん。だ、大丈夫」
 そう言って私はゆっくり上体を起こした。
「歩ける?」
 シンの問いに黙って頷き、彼の肩をかりてソファーまで歩いていった。そしていつものように彼の膝に頭をおくと、
「やっぱり、仕事休むべきだった ―――」
 と申し訳なさそうに言って、私の髪に手をかけた。
「違う―――。何か、違うわ」
 そう言って私は、おもむろにシンの膝から離れた。
「どうしたの?」
 シンが心配そうに私の顔を覗き込んだ。 
――― 何かが違う。なにが違うというの?本当に違うの?―――
「どこか痛む?」
 シンが私の身体をそっと撫でてくれる。何も変わっていない。
「ううん。大丈夫。きっとまだ、気が動転してるんだわ」
 そう。気のせい。私はそう思い再びシンの膝の上に頭を置いた。
「もう寝たほうがいい」
 シンはそう言いながら、私の髪を優しく撫ではじめた。私はその手に自分の手を重ね、そして頬の上に移動させた。頬から伝わる彼の手のぬくもり。
「シン―――。ずっと傍にいてね」
「心配しなくていいよ。さぁ、お休み」          
 それから数日間、何事もなく幸せな日々が続いた。
 ある朝、いつもより早く仕事に出かけるというシンをさっさと送り出し、台所を片付け、掃除をし、洗濯も終わらせた。そして別室から大きな紙袋をもってくると、大好きなロッキングチェアーに腰掛け、その袋から深い緑色の毛糸と編みかけのセーターを取り出した。私は、もうすぐやってくるクリスマスのプレゼントにと、シンに内緒でセーターを編んでいる。 
 鼻歌まじりでチェアーを揺らす私の心はもうクリスマス。
 ――― ビィーッ ―――
 突然のドアチャイムの音に、私は少し驚いた。普段人なんかくることのないこんな森の中まで足を運んでくるなんて、一体どんな人なのかしら?そう思いながら静かにドアを開け、そして自分の目を疑った。
「こんにちは」
 そこには、なぜか『私』が立っていて―――。
「シン・ウェブナー技師のお宅ですか?」
 そう私に問いかけた。「はい、そうですが―――」
 平静をつくろいつつも、反射的に答えることしかできなかった。
「突然お邪魔して申し訳ありません」
 ――― 何なの?なぜあなたは驚かないの? ―――
 気が動転している私をよそに、目の前の『私』は、ここに来た理由を続けて話していた。この目の前にいる『私』は二代目の代理母アンドロイドで、行方不明になった最初のアンドロイドを偶然見つけたシンが、同機種のこの『私』を『息子』のもとへ届けたらしい。
「この子が、どうしてもお礼がしたいと―――」
 『私』の影から顔を出した小さな男の子は、恥ずかしそうに「こんにちは」と笑みを浮かべた。
「息子の―――」とアンドロイドの『私』が言ったところで、
「キム―――」
 とその男の子に向かって私は呼びかけていた。なぜかは分からない。とても懐かしく愛おしい感じがして、その『息子』の名前を呼んでいた。驚いた顔で見つめあう二人をよそに、私は膝を床につけ目線をキムの高さまで下ろし、そっと両手でその顔を包み込んだ。
「どうして僕の名前知っているの?」
 何の警戒心もなくキムは尋ねた。
―――どうして?って、私の事が分からないの?―――
 私は戸惑いながら、
「だって私は―――」
 そこまで言って、なぜか頭の中が真っ白になった。
 ――― 私は、なに?そうよ、なぜ知っているの?それにこの感覚は?―――
「キム、彼女はウェブナー技師と一緒に暮らしているのよ。きっと技師に話を伺っていたんだわ」
 アンドロイドは私と同じように膝をつき、優しい口調でキムにもっともらしい理由を言った。
 ――― そうかも知れない ―――
  私自身、無理やりそう納得をさせ、遥々来てくれた二人にお茶を出そうと家の中に招き入れた。中に入るや否や、キムがあるものを見つけ走りよった。
「ねぇ、見て、ヴィラ!」
 ――― なに?どうしたのキム ―――
 先行く私はその声に反応して振り向いた。けれどその先に見えたのはアンドロイドの『私』に楽しそうに話しかける『私の息子』キムの姿だった。「これ、ヴィラの椅子とおんなじだよ」 
―――なぜ私じゃないの? キム?キム!キム!―――
 私の声が心の中でだんだん大きくなってゆく。
―――そう私はヴィラ。代理母アンドロイド―――
「あら、ホンとだ。このお家にもいるのかも知れないわね」
「だって、ウェブナー技師のお家だもん。でしょ?」
 私の目の前で私にそっくりなアンドロイドが私の息子に楽しそうに話している。あれは、私?じゃぁ私は誰?私はヴィラ。いいえ、私はユキ。愛する夫シンと二人、ここで静かに暮らしている。シン?シンはどこ?この二人は誰?あれは私。私は―――?二人の会話はどんどん遠くなってゆき、自分の身体が後ろに引っ張られてゆくのを感じた。私はキムをしっかり両目で捉え両手を前に伸ばしたまま、後へとゆっくり倒れていった。視線がキムから離れる瞬間、二人が私に気付き駆け寄ってくるのが見えた。そして後頭部が激しく床に叩きつけられると同時に、「パシュッ」と音を立てフラッシュのような光が私の視界を遮った。その後も続く頭の中を貫く衝撃。なにがどうなっているのか分からなくなっていた。ただ、驚いた顔で私を覗き込む『私』と、そして『私』の瞳に映る見たこともない女性が黙ってこちらを見つめていた。
「大変、オーバーヒートだわ」
 そう言って『私』が目の前から立ち去ると、目の前に広がる天井がゆらゆら揺れて見えた。遠く離れてゆきそうな錯覚さえ感じさせながら―――。そこに、ぬうっとキムの顔が横入りし、気が遠くなりつつあった私を引き戻した。 
「大丈夫?」
「ええ」
 そうは言ってみたが、今なお続く頭を貫く衝撃に身体は痙攣を起こし、目の前はノイズで乱れ、キムの顔が歪んで見える。
「冷やしましょう」
 『私』は氷をタオルでくるんだものを持ってくると手際よく頭を冷やし、そして私を抱えロッキングチェアーへ向かった。私は誰?その謎を探るべく、私は「鏡が見たい―――」そう呟いた。その言葉に『私』は一瞬不思議そうな顔をしたが、私をそっとチェアーに下ろすと、バッグの中からコンパクトを取り出した。
「ただいま。誰か来てるの?」
 帰ってきたシンが、家の中の異様な様子に気付き急ぎ足で入ってきた。そして、こちらを向いて突然顔を硬直させた。
「ダメだ!!ユキ!!見るなっ!!」
 シンの荒げた声が響き渡ったが、すでに時は遅く、私は『私』から受け取ったコンパクトを覗き込んでいた。
「誰?これは、誰?」
 鏡に映る私は、見知らぬ女性だった。シンは呆然と立ち尽くしていた。私の目の前のノイズはより一層ひどくなり、目に入るフラッシュは火花のようにパチパチと音を上げだした。頭の中が熱くなってゆくのがわかる。頭を貫く衝撃と共にシンとの思い出がフラッシュバックする。私は、傍にぬくもりを感じ、現実か記憶か分からないシンの姿を捉えた。その後ろで、キムが『私』の後に隠れ心配そうにこちらを見ている。
「ゴメンね、キム。また別の日に来て」
 そう言って私が右手を振ると、『私』は適確な判断でキムを帰るよう促した。
「早く元気になってね」
 と微笑だけを残して、キムは『私』とともに帰って行った。
 静かな部屋の中、シンは握り締めた私の手に額をこすりつけ震える声で呟いた。
「ユキ ――― どうして ―――」
 私の中で、『ユキ』という名前がこだまする。
 ――― ユキ、愛してる ―――
――― ユキ!―――
 ――― ユキ!―――
 それは紛れもなく私を呼ぶシンの声。いつも、どんな時も傍にいてくれたシンの温かい声。
「ユキ?――― そう、私はユキ―――。いいえ違う。私は―――」
 ――― ヴィラ ―――
 そう呼んでくれた最愛の息子キムは、別の『私』の胸に抱かれ笑みをこぼす。
 ―――バシッ!―――
シンにも聞こえるほどの何かが弾けるような音と、身体をのけ反らせるほどのひどい衝撃に、私は「うっ」と声を漏らした。
「ダメだ。逝くな ―――、もう二度と僕を置いて逝かないでくれ ―――」
 シンは私を見つめて涙するだけだった。少ししてシンは突然立ち上がった。           「待ってろ」
  ―――シン。私は一体どうしてしまったの?―――怖い―――
 シンは、苦しむ私の横でコンピュータを開き、そしてプラグを私の頭に差し込んだ。  
 ―――私は一体なに?―――
  私の頭は混乱し、制御できなくなった身体は手足をばたつかせていた。それもつかの間『バッチ』という音が頭の奥で響いたあと、体の感覚が私の中から消え手足は静かになった。頭の中が焼けているのか、いやな臭いが鼻をつく。
「くそぉ!何で繋がらない!」
 シンの悲痛な叫び声。意識はあるのに、もうどうすることもできない。
「ユキ!ユキ!」
 シンは動かなくなった私の身体を揺すり、何度も叫び続けていた。 
「俺をひとりにしないでくれ。お願いだから―――」
 シンの叫び声がだんだんと遠くなってゆく。そしてわずかに感じる身体の揺れは海の中で揺られるヴィラの記憶と重なり、それを呼び起こす。
「身体が新しくなっても、同じように抱きついてくれる?」
「あたりまえさっ」
 あの日が蘇る。
―――私に帰るところはないの?―――
「もう、私が私でいる必要はどこにもない」
 ヴィラが私の中でそう叫んだ。
―――あのままそっとしておいて欲しかった。誰にも邪魔されることなく、いつまでもキムとの思い出の中にいたかった―――
 ヴィラの悲しい想いは私に伝わり、そして静かに消えてゆく。じょじょに停止してゆく機能の中、私はしっかりとシンの姿を目に焼き付けた。
「ユキーッ!!」
 それが最後に届いたシンの叫び声。そして私は、
「さようなら」そう呟き、静かに記憶を消した。
 ――― シン、ずっと愛してるから ―――
 ――― さようなら、キム ―――
 ――― さようなら、私 ―――
 ――― さようなら ―――

 眩しい昼下がり、私はシンと、キムと、ヴィラとともに近くの砂浜で楽しくランチタイム。シンとキムは一足先に食事を終え、波と戯れていた。
「人間はいいわね。錆びる心配がなくて」
 ヴィラは少しつまらなさそうにしつつ、
「呼んでいるわよ」と私に手を振り呼ぶキムとシンの方を指さした。私は満面の笑顔で彼らに手を振りかえした後、
「シンがいるから大丈夫。一緒に行こう!」
 と、ヴィラの手を無理やり引っ張った。嫌がりながらも嬉しそうについてくるヴィラを見て繋いだ手を一層強く握り、二人で波打ち際めがけて走り出した。
「早くおいでよ!」
「ハーイ」
                             終

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