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シン(ヴィラⅡ)

《シン》 

 僕はあの日、魂を悪魔に売った。搬送された病院のベッドで苦しむ彼女と、彼女を失ってしまうことの苦しみから僕を救うために―――。
 僕らの幸せは、一瞬にして奪われた。あの日連絡を受けて病院に駆けつけた僕の目に映ったものは、ユキの変わり果てた姿だった。勤めていた工場が爆発事故を起こし、ユキはその犠牲になったのだ。全身のそのほとんどが焼けただれ、この存在が本当にユキなのかどうか、まったく分からない状態だった。衣服とともに身体に張り付いていた従業員証が唯一の身元の証明だった。かろうじて生きてはいたが、医者も手の施しようがなく、ただ見守ることしかできなかった。ときおり聞こえてくるうめき声は、「熱い、熱い」とそう聞こえ、耳を塞いでも、目を背けても耳の奥にいつまでもこだました。
―――そんなに苦しいのならいっそ(この手で殺してしまおう)―――
  何度もそう思った。けれど、そう思えば思うほど、どんな状態でもいい、ずっと傍にいて欲しい。その気持ちが増すばかりだった。
 気がつけば僕は自分の働く会社に忍び込み、当時研究に携わっていた倫理上公表はされていないがすでに開発済みの記憶転送装置を持ち出していた。
 彼女の―――ユキの記憶をマイクロチップに転送するのだ。ユキの全てをこの中へ ―――。
  全ての記憶をなくしたユキはただの器になり、痛みすら感じることもなく、数日後静かに息を引き取った。
 荼毘にふされ骨になったユキを見て僕は、人間の儚さを知った。けれど少しも寂しさを感じることはない。なぜなら姿形は変わってしまったが紛れもなく『ユキ』はここにいるのだから。
  手の中に入るほどの小さなマイクロチップ。僕はそれを専用のパソコンに入れて起動させた。決して覚めることのない夢は現実となる。ユキの記憶を仮想の現実に送り込んだ。つまり夢を見ている状態にしたのだ。信じがたいかもしれないが、僕がパソコンに話したいことを打ち込むだけでユキは勝手に想像し、あたかも現実の世界で僕と話しているかのように感じることができるのだ。そしてそれは今までのユキの記憶と混ざり合い、新しい記憶として蓄積されていく。僕が新しい情報をインプットし、間違った情報やいらない記憶を消してゆくことで、ユキは新しい未来を切り開いてゆける。僕の―――僕だけのユキを作り上げてゆく。そしていつか―――。
  その日は思ったよりも早くやってきた。たまたま訪れたヨットハーバーで僕は、とてもすばらしい拾い物をした。製造番号のかなり古いアンドロイドを手に入れたのだ。僕はこのアンドロイドの持ち主を調べ、すぐに電話をし、事情を聞いた。そして「明日新しいものを持って伺います」と伝え、そのようにした。
 翌日『ヴィラ』という名のアンドロイドをその家に届けると、小さな少年が飛んで出てきた。しかしピクリとも動かず眠ったままの『ヴィラ』を見て少年はその場に佇んだ。
「大丈夫だよ。もうすぐ目が覚めるからね」
 そう言って僕はその小さな少年としばし話しをし、その出来うる限りの情報を『ヴィラ』の中にインプットすると、それを起動させた。アンドロイドがゆっくりと立ち上がる。僕は目を細め少年の肩を抱きその様子を一緒に見守った。やがて目を開いたアンドロイドは少年を見つけ静かに口を開いた。
「ただいま、キム」
 その声に少年は、「おかえり、ヴィラ!」と僕の傍を離れアンドロイドに駆け寄り、おもいっきり抱きついた。アンドロイドはその少年の頭を優しくなで微笑んだ。新しい『ヴィラ』の誕生だった。
 ヴィラの様子を少しの間確認したあと、僕は説明書と保証書そして連絡先住所の書いた紙を少年の父親、つまり顧客であるこの家の主人に手渡し「メンテナンスの際は是非」とひと言つけ加えこの家を後にした。
 僕はこの時をどれほど待ちわびたことか。そのために人里はなれたところに一軒家を買い、今まで作り上げてきた地位と権威と研究に関する『記憶』全てを会社に譲り、独立という形を取ってアンドロイドの修理・販売業を始め、時を待つことにしたのだ。ただ、僕だって馬鹿じゃない。今までやってきたこと全ての記憶をなくしたら、僕とユキの新しい未来は紡げない。そこで僕は僕自身の記憶にちょっとした細工を施した。記憶の操作など僕にとっては簡単なこと。パスワードひとつで復元できるよう仕込んだのだ。
 そして退社する日、僕は研究とそれに関する情報全ての記憶を失ない、変わりにメンテナンス業務のノウハウや顧客など新たな情報をインプットされ、社外の人間になった。
 翌日、僕は何の疑いもなくこの家でメンテナンス業者として目覚め、お得意先のアンドロイドのメンテナンスに伺うべく支度を始めた。そしていつものようにコンタクトレンズをつけようとした瞬間、膨大なる記憶の波に胃袋の中を一掃され、そのあと洗面台の掃除もすることになった。そう、コンタクトレンズをつけるのは日常の行為であり、しかも洗面所で行なうという好都合な行為だという観点から、僕は記憶を戻すパスワードを今日使うコンタクトレンズの内側に記しておいたのだ。記憶を取り戻すことがこんなに気分の悪いことだったとは想像以上だったが、それでもこの上ない喜びに僕は浮かれ、鼻歌まじりで汚物の処理をしたことを今でも覚えている。
 あれから半年。ようやくユキの『新しい身体』を手に入れた。あとはこの身体の中身を分解し、整備、修理、改造。そして、記憶の転送―――。
 僕は毎晩、狂ったようにこのアンドロイドを触り続けた。頭部以外の全てのパーツをひとつひとつチェックしながら分解し、使用不可能な部品を新しいものと交換しながら、それぞれどこの何かわかるよう札をつけてゆく。この一番手間のかかる作業を二ヶ月かけて行い、組み立て、間違いなく動くか細部にわたり検査をしてようやく『ユキの体』を作り上げた。あとは頭部だけだ。頭部は穴が多い分、水没の影響をかなり受けていると考えがちだが、実際は違う。呼吸をすることも、食事もすることもないアンドロイドの穴は、その形を人間に似せるというだけの見せかけの部分が多い。そしてこれは生身の人間の場合も同じだが、耳の穴にしろ鼻の穴にしろ、それらは脳に直接繋がる穴ではなく、脳に繋がる穴は唯一、脊椎の通る穴のみなのである。幸いにも脊椎に損傷はなく、ほとんど海水の影響はなかった。僕は容姿をできるだけユキに近づける作業をしながら、ユキが目を覚ますその日を想い描いていた。
 そして、とうとうその瞬間がやってきた。僕は高ぶりで震える手を抑えながらマイクロチップというちっぽけな『ユキ』を出来上がった新しいユキの中に入れ、充電器である卵型のロッキングチェアーに座らせると、ユキが目覚めるのをじっと待った。
 しばらくして目覚めたユキを見て僕は大なミスに気付いた。このアンドロイドが旧式だということを忘れていたのだ。ユキは、壊れたロボットのように同じ動きを繰り返していた。それはマイクロチップを必死に読み込もうと何度もチャレンジしている姿だった。ユキのシステムでは僕の開発した最新式のシステムを読み込むことができなかったのだ。読み込むためのシステムをインストールしようとも試みたが、それも適わなかった。しかし慌てることはない。マイクロチップが使えないのなら、コンピュータを介して記憶というデータだけを内蔵されているハードシステムに直接インプットすればいいのだ。普通ここには基本的な行動パターンや危険回避のためのセキュリティシステムなど、人と生活を送る上で大切なデータが入り、人格や、記憶をインプットすることはない。ただそれは後々のメンテナンスのことを考えてのことであり、機能的にはここに『ユキ』を入れても差し支えはないはず。問題は容量だけだ。僕はまず、そのハードシステムを開いて中の状況を見てみた。結構整理できそうだ。僕はデータを圧縮したり、いらないものを消去したり、慎重にシステムの整理をしていき、『ユキ』を入れるに十分なスペースを作くることができた。
「この位でいいかな」そう思いシステムを閉じようとしたとき、気になるデータを見つけた。それはこのアンドロイドの過去の記憶だった。僕は、何らかの誤作動でも起きたのだろうと、気楽にそのデータを消し始めた。
 順調にことは運んだ。たったひとつのデータに関すること以外は―――。どうしても消えないデータの存在。僕は戸惑った。
―――ありえない―――
 しかし現に存在している。そのデータを解析した結果、全てキムという少年とのものだということが分かった。ヴィラを代理母に持つ、あの少年だ。そしてそのデータはこともあろうか起動システムと連動していて、それがなくなるとこのアンドロイドは起動しなくなるようになっていた。なぜそうなっているのかははっきりとは分からないが、恐らくこのアンドロイドは元々がそういったシステム、つまり不良品だったのだろう。僕は悩んだ末、このデータ全てを開くことができないようにロックすることにした。人間で言えば、記憶喪失とでも言うのだろうか。そういう状態にしたのだ。何らかの影響でロックが解けて、ヴィラの記憶が蘇るといった心配もあったが、ユキの記憶に比べれば微量な記憶をわざわざ呼び起こすようなことはしないだろうし、たとえ記憶が蘇ったとしても、遠い過去の記憶としてすぐに排除してしまうだろう。そう高をくくりつつも、念のためすぐにコンピュータと繋げることができるよう、左耳の後ろに専用の外部端子を作った。さらには、ユキとそれに関するあらゆる資料を僕の書斎であるロフトの棚の奥にしまい込み、なおかつユキがそこに立ち入らないようユキ自身にセキュリティシステムをインストールしておいた。そして念には念を入れて、ユキ自身、自分の容姿が認識できないようにまでしておいた。なぜ、そこまでしたのか。ひとつのアンドロイドにふたつの記憶つまり人格の存在が与える影響が図り知れなかったからだ。
 そして、ユキの記憶をヴィラだったユキの中に転送し外部端子プラグを抜き全ての作業を終えた。後は、ユキが目覚めてみなければわからない未知なる世界。僕は静かにその時を待った。やがてユキは静かに目を覚まし、そしてキョトンとした目で僕を見つめると、ゆっくりとロッキングチェアーから立ちあがり口を開いた。
「どうしたの?シン」
 ユキが再び蘇った瞬間だった。僕はこの喜びをどこにぶつければいいのだろうか。思わずユキに抱きつき、
「お帰り」と耳元でささやいた。
「何?どうしたの?」
 僕の浮かれようにユキは少し戸惑いぎみだったが、そんなことなどおかまいなく、僕は何度もユキを抱きしめた。
 この日から、ユキの作られた記憶は現実となる。あの忌まわしい事故の記憶を消し去り、会社を辞め独立した僕がユキにプロポーズをしたことや、その数ヵ月後に結婚したことに換えた。この半年間のユキの記憶は止まることなく存在し、そしてこの先も続いてゆく。
 「ユキ」
 僕はソファーに腰かけ、ユキを手招きした。ユキはいつものように隣に座ると、僕の膝を枕に目を閉じた。僕はそっとユキの髪をなで、そして長く柔らかな髪を耳にかける。ユキの横顔が愛しい。僕はそのユキの横顔に微笑みかけたあと、左の耳の後ろにある外部端子の接続カバーを外しプラグを差し込んだ。すると設定どおりユキの外部機能は停止した。僕はユキの傍を離れコンピュータのあるデスクへと向かった。そしてユキの脳や身体に不具合が出ていないか入念にチェックした後、再びユキの傍に戻りプラグを抜いた。目覚めるのは三分後だ。今のところどこも異常はないようだが、しばらくは定期的にチェックが必要だろう。
 こうして、僕とユキの新しい人生がスタートした。

                        終

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